ライフオーガナイザー®︎を目指した理由【前編】

こんばんは☺︎
ライフオーガナイザー®︎のタマイです。

自己紹介をした前回の記事
でも少し触れましたが、私は決してまっすぐライフオーガナイザーにたどり着いたわけではありませんでした。

今日は幼少期までさかのぼりながら、私がなぜ、ライフオーガナイザーになったのか…の話にまだまだたどり着かない、最初の最初、根っこのお話をお伝えいたします。

前回、私が一番最初に住宅に興味を持ったのは、小学校高学年の時、実家の新築時だとお伝えしました。

当時の私は「大工さんになりたい」と親に伝えたのを覚えています。

親からの回答は「女の子は大工さんになれないよ」でした。今となっては、そんなことないでしょ!!と突っ込むところですが、当時の私にはそんな判断もできるわけなく、そうかそういうものなのか…と受け止めました。

その後、「実家の木材屋はどうか?」と聞いても、同じく「女の子は無理だねぇ…」の一言。そして「建築家にはなれるけど、数学や理科ができないと無理だね」と返されて、そりゃあ無理だ!と、スゴスゴ芽を摘まれた(正確には自ら摘んだ)のでした…笑

時は過ぎ、小学6年生の頃。
同級生のSくんが転落事故で亡くなります。
12歳の私は、動揺しました。

学年のオープンスペース(各クラスを繋ぐ広いスペースがある校舎でした)に、「Sくんの夢はオリンピック選手」と大きく掲げられて、彼との思い出のメッセージが張り出されました。

その様子を見て、「あぁ、私には夢がない」と思ったことを、よく覚えています。

お友達の真似して書いた看護婦さん
犬が好き過ぎて希望した獣医さん
家が建てたかったから大工さんや建築家

女の子だから…
婚期が遅れるよ…
算数と理科ができないと…
ちゃんと夢をみる前に、諦めていました。

私の夢ってなに?
私が今死んだら、なんて書かれるの?

12年しか生きられなかったSくんの死がきっかけで、ボサッと生きてきた私は、このまま何となく生きていくことが、なんだかとても申し訳ないような気がして、「Sくんの分も、一生懸命生きよう」と決めたのでした。

そんな私に突如「夢」が現れたのは、中学一年の時でした。

劇団四季ミュージカル「美女と野獣」を見て、それはそれは感動し、舞台の美しさに涙を流し、「舞台に関わる仕事がしたい」と今までにない力強さで感じたのでした。

ことごとく親に夢の芽を摘まれているとも気づかず、今回も「舞台の仕事をするにはどうしたらいいの」と聞きます。笑

「美大にでも行けばよいのでは?」
と、やっと(笑)!まともな返事!
※親との関係は良好です、念のため!

ということで中学一年生の、一先ずの目的が「美大に入学して舞台の勉強をすること」に決まりました。

あとは目標を細かく立てていくだけでした。
大学をどこにするのか、そのためにはどの高校に進むべきか、そのためには今どんな成績が必要なのか…などなど、日々の部活動などに加えて、中高6年がかりの受験勉強が始まっていきます。

そしてこの「舞台」が私にとっての1つのキーワードとなり、今に至ります。

長くなりましたが、私の根っこはココに。
13歳の私の感動が、10年後、20年後の私の原動力となっています。

続きはまた次回。




There’s no place like home.
さぁ、おうちに帰りましょ。


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「There’s no place like home.(やっぱりおうちがいちばん)」をコンセプトに、ライフオーガナイズの手法を活かし、住まい手のカラダとココロが喜ぶ“暮らしの仕組み”づくりをお手伝いするvivo-stadioのWEBサイトです。

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